愛知県議会議員 神谷まさひろ

東陽町ホンネの日記

2011年3月31日(木)
 後援会事務所前に貼ってあるポスターを新しくしました。

 平成22年度も今日が最終日。市役所に行くと、あちらこちらの課で、簡単な送別セレモニーが行なわれています。

 議長室でも、今年度で退職される部長級以上の職員5名に対して記念品の贈呈式が行なわれました。例年、3月議会最終日に[議員親睦会=退職者送別会]というものを開いているのですが、今年は東北地方太平洋沖地震の発生により親睦会そのものを中止しましたので、本日記念品の贈呈と相成ったものです。皆様、本当にお疲れ様でした。
2011年3月30日(水)
 刈谷市グランドゴルフ協会の総会に出席しました。

 来賓として挨拶をされた竹中市長・西口議長が共に、震災復興に駆けつけた本市の消防職員の話をしました。地震が発生したその日に消防車両2台、職員10人体制で刈谷を立ち、現地で4日間、生存者の救出や遺体の搬送といった仕事に従事され、4日間での睡眠時間は合計僅か10時間だけという過酷な状況での支援活動だったようです。そして、その報告に来た職員が「『明日、再び出動せよ』との命令が下れば、我々は喜んで現地に向います」・・・と語ったそうで、その使命感の高さに頭が下がる思いでした。

 竹中市長、挨拶の中での言葉・・「人を助けるのは人の力だ」「朝の来ない夜はない」、こんな時こそ国民が一丸となって、絆を大切に復興に向けてガンバロー! そのような気持ちになった挨拶でした。

 刈谷市グランド協会はKGK=K(刈谷市)G(グランド)K(協会)と表記しますが、K(高齢者が)G(元気良く)K(健康に)とも読めますね。酒井県議の受け売りですが・・・(笑)
2011年3月29日(火)
 コロンブスレポートを郵送している支援者の方からメールが届きました。

 「家に帰ってポストを見たらもうコロンブスが届いてました。神谷さんのコロンブスはとっても分かりやすいから私たち素人でも何か理解できます。原稿書きの努力、印刷代、切手代を考えたら捨てたり粗末に扱えないですね~。ありがとうという気持ちです。県議選後は自分の本番が来ますね~ 頑張って、心の底から応援してますゥ」涙が出るくらい嬉しいメールです。ありがとうございますm(__)m

 「被災地に支援物資を送りたいのですが、どうしたら良いですか?」「行政では出来ないことをボランテイァとして現地でやりたいのですが、その窓口は?」「刈谷市は津波の心配はないの?」「この近くの避難所はどこですか?」など、まちを歩いていると震災関係の様々な質問を頂くようになりました。

 昨日の日記で書いた「(県議選挙に対して)有権者の関心はどうも低いように感じます(′・_・`)」ということと表裏一体の現象なのですが、1日から始まる選挙戦では、そうした有権者の気持ちに配慮した運動をしなければならないと思っています。
2011年3月28日(月)
 午前7時より刈谷駅南口において、震災義援金募金活動を行ないました。酒井県議を中心に、自民党刈谷市支部議員団、ボランティアの皆さん、総勢20名ほどでの活動です。もう直ぐ4月とは思えないような寒さで、募金箱を持っている手が直ぐに悴んでしまいます。

 それでも、募金箱にお金を入れてくださる度に「ありがとうございます」と言って頭を下げると、何だか心が暖かくなったような気分で、寒さも吹き飛んでしまいます。

 その後は、自転車でコロンブスレポート+県議選出陣式・個人演説会の案内配りを行ない、手配り分は全て完了することが出来ました。これで、心置きなく、県議選の手伝いに集中することが出来ます\(^o^)/ 午後からは、県議会議員選挙関係の会議、打ち合わせでした。今週の金曜日には告示なのですが、有権者の関心はどうも低いように感じます(′・_・`)
2011年3月27日(日)








 昨日同様、事務所ではコロンブスレポートの発送準備、そして私は自転車で手配りです。風は若干吹いていますが、日差しは暖かく、自転車で廻るには絶好の気候です。加えて、庭に咲いている色とりどりの花が目を楽しませてくれます。更に加えて・・・途中であるご婦人にお会いしました。「神谷さん、ありがとうございます。先日お願いしていたこと、一昨日、市役所からOKの電話があり実現しました。神谷さんのおかげです。」と嬉しいことを知らせてくれました。自転車をこぐ足に思わず力が入ります(笑)

 途中、NPOくるくるの納会に出席しました。今週はくるくる関係の行事(仕事)は4日連続です(笑) 出席者約60名、僅か8年で本当に大きくなったものだと感心します。今日は酒井県議も出席されましたので、私が挨拶の中で、県議選挙の支援お願いをしました。ご本人からは言い辛いですからね・・・(C∥⌒_ゝ⌒)
2011年3月26日(土)
 コロンブスレポートVol.45の印刷が上がって来ましたので、朝からボランテイァの皆さんと共に折り曲げ作業を行ないました。そして、ある程度出来上がったところで、折り曲げ作業は皆さんにお任せして、私は桜区の一部に配って廻りました。

 酒井県議の出陣式・個人演説会のPRも兼ねての配付です。初めは怪訝な顔をしている方も、「刈谷市議会議員の神谷です・・・」と名乗ると「あーっ、はいはい。神谷さんね。ご苦労様です。頑張ってください。」と励ましてくださいます。議員活動12年間でのありがたい財産だなぁ~と思います。

 但し1つ気がかりなことが・・・。数人の方より「何の選挙があるんですか?」と聞かれてしまいました。県会議員の選挙が近々あるということを皆さん余りご存知ないようです(* ̄∧ ̄*;) ふぅむ。
2011年3月25日(金)







 
 NPOくるくるの入社式が行われました。今春入社の新人は四大を卒業した男性1名、女性6名の合計7名です。刈谷市の今年の採用が61名ですから、それと比較すると法人規模の割には大量の新規採用であると言えます。

「時代の要請に応えている法人である」
「代表の理念・志がしっかりしている」
「10年後には『いい所に勤めていますね』と言われるような法人になるはず」
「私の仕事は『人のお役に立つことです』と言いるようにしよう」
「日の当たる役割の時と、日の当たらない役割の時がある。日の当たる役割の時に
 一生懸命やることは誰でも出来る。逆に、日の当たらない役割の時に怠けてしま
 いがちである。しかし大切なのは、日の当たらない役割の時にいかに生き生きと
 仕事をやるかだ」

 この様な内容の挨拶をしました。何度も頷き、目を輝かせながら聞いてくれましたので、話をしているこちらも嬉しくなって来ました。だから、新人向けの挨拶は大好きです。皆さんの今後の活躍を期待しています。
2011年3月24日(木)
 市役所内では『平成24年4月1日付け人事異動内示』が発表されました。「自分の移動はあるのか」「他の人は」「新しい部長は」「自分の上司・部下は」・・・市役所職員にとっては気になる1日です。市役所内を歩くと、あちらこちらで一覧表を食い入るように眺めている姿があります。全国区の企業と違い「人事異動に伴って、住まいを移動しなければならない」ということはないのですが、発表があって僅か一週間後には、新しい部署で新たな仕事に付いていなければなりません。本人の意思に拘らず・・・そういった意味では、厳しい世界だなぁ~と思います。

 ある高校の体育館で2時間ほど過ごしました。底冷えのする寒さで、これなら日のあたる屋外の方がよほど暖かく感じます。寒さのせいで最後には頭がボーッとして来ました。しかし今回の震災で被災された方々はこうした体育館の中で数日間暮らしてお見えになるのです。そうした方々のご苦労を考えたら、少しぐらいのことで「寒い!」などと言っていてはバチが当たりますよね(`・ω・´)
2011年3月23日(水)
 3月議会最終日。本会議において全ての議案が可決しました。その中の1つに、[平成22年度の補正予算の追加議案]というのがありました。これは木造住宅耐震改修費補助金がこれまでは上限60万円だったのが100万円になったことにより申し込みが急増、急きょ2400万円の追加補正となったものです。

 中央児童館プラネタリウムで「はやぷさ」の全天周映像放映を鑑賞してきました。7年の歳月を掛けて小惑星イトカワの微粒子を持ち帰った「はやぶさ」が地球に帰還するまでの最新映像で、プラネタリウムのドーム全面に映し出される迫力のある映像です。

4月10日(日)までの期間限定上映で

土・日曜日及び祝日は13時30分~と15時~
春休みの平日は13時30分~
金曜日は19時~の上映です。

 約50分間、童心に戻り、宇宙への夢に胸を膨らませて見入っていました(笑) 子ども達にもぜひ見せてやりたいと思います!!
2011年3月22日(火)
 朝10時から、予算審査特別委員会→議会運営委員会→会派代表者会議→議会基本条例研究会→県議選議員団会議とずっと会議が続きました。議会運営委員会で話し合われている検討事項の中で、我々の会派は次の3つのポイントでの改善を提案しています・・・

1.それぞれの会派が政策で議論できるよう代表質問制度を導入しよう
2.現在、条例違反状態となっている議会運営委員会の定数を改めよう
3.真に民主主義が機能し、議会改革がスピード感を持って進めることが出来るよう、
  議会運営委員会における決定プロセスを、現在の全会一致制から多数決制に改め
  よう

というものです。この提案に対しては当初反対していた市民クラブも今回「賛成」の立場に転じてくれました。実現に向けて今後も粘り強く、他の会派にも賛同を呼びかけて行きたいと思います。
2011年3月21日(月)
 NPOくるくるさんの『くるくるクリーニング2号店』のお披露目会に出席しました。以前は刈谷ホームニュースの社屋だった建物を改装してオープンしたこの新拠点では、障害者の就労継続事業のほかに、児童デイサービスも行なわれます。

 鈴木代表が一人で始めたこの法人が、僅か8年間で給料明細の数では90人分となるまで大きくなった理由は、障害者自立支援法の制定により制度が整ってきたと言うフォローの風もありましたが、一番のポイントは、「障害を持った方も地域で自分らしく暮らせるような社会にしたい」という代表の強い信念・志の賜であると思います・・・来賓としてそのような挨拶をしました。

 刈谷駅北口だよりがメールで届きました・・・

刈谷駅北口が春になりました。私たちガーデニングボランティアも市から頼まれ一昨日現場でプランターの配置や花の配置を打ち合わせ。綺麗に花が植栽され刈谷市の表玄関が花で美しくなりました!プランターの花も嬉しそうです!



2011年3月20日(日)
 午前5時、市原神社で行われた(社)実践倫理宏正会の朝起き会に出席しました。今日は、春の大会における会長先生の講演をテープで再び拝聴する朝起き会です。来賓として挨拶させていただいたのですが、話の途中で、次に話す内容をすっかり忘れてしまいました。よく言われる「頭が真っ白になってしまった」という状態です。自分にとっては珍しいことで、焦りましたが、何とかほかの話に切り替えて事なきを得ました。ふぅむ。正直、焦りました・・・。

 その後、桜の健康ウォーキングに参加です。暑くも寒くもなく、ウォーキングするには絶好の気候となりました。歩きながらメンバーの一人が、「どうして、屁の河童って言うんだろう?」と皆に聞いてきました。確かに、簡単に出来ることに対して「屁の河童」という言い方をしますが、なぜ「屁」なのか「河童」が出てくるのか良く判りません。メンバーの一人に元高校の国語の先生もいるのですが、あたりまえのように(?)判りません。また調べてみようと思いますが、こんな楽しい話をしながらいつも約1時間、ウォーキングしているのです(笑)。心にも体にも良いウォーキングの仲間です!
2011年3月19日(土)
 ポカポカ陽気で、絶好の行楽日和、そして私にとっては絶好の街頭演説日和です。しかし、今日は終日事務所に篭って、議会運営委員会に提出されている意見書案に対する発言原稿を書いたり、コロンブスレポートの作成準備を行なっていました。

 今日の中日新聞朝刊に『岐阜県議選 街宣控えめに』という見出しで、東日本大震災の被災者に配慮して、岐阜県議会では4月1日告示の県議選挙運動を一部自粛するという報道がされていました。被災された方々に思いを馳せ、日本中が震災の復興に向けて自分の出来る範囲で協力してゆこうというムードになっている今、正直言って私も選挙運動を派手にやることは気乗りがしません。

 とは言っても、「民主主義にとって選挙は大切なものである」という思いもあります。この2つの思いの中で気持ちが揺れ動いているのです。ただ、少なくとも県議選告示前までは、派手なことはせずに、一日も早い復興とお亡くなりになった方のご冥福を祈らせていただこうと思っています。「街頭演説をするより、先日のように街頭に立っての義援金募金を」ということで、私の街頭演説も暫くお休みします!
2011年3月18日(金)
かりがね小学校の卒業式に出席しました。先日の震災によりお亡くなりになった方々への黙祷が行なわれた後、開式です。今年の卒業生は193名、学校全体では943名ですから、この学年の児童数はとても多いことが判ります。校長先生は卒業証書を手渡す時、その全ての児童に「おめでとう」と声を掛けて渡していました。何気ない心配りですが、子ども達にとっては嬉しいことだと思います。その校長先生が式辞の中で言われた、卒業生への餞の言葉「自分に厳しく 相手には優しく」・・・卒業生の未来に幸多きことをお祈りします。

 市内全ての小学校で卒業式が行なわれているその時間、市役所の職員による災害支援物資の積み込み作業が行なわれていました。

夜、自民党刈谷市支部による災害義援金の街頭募金活動を行ないました。刈谷駅には私たちの他に、アイシンのバスケットチーム『シーホース』の選手や、刈谷青年会議所のメンバーも同様な活動を行なっていました。風が冷たく、日が暮れると共に気温が下がってきたのですが、避難所で過ごされている方のことを思うと、「これしきの寒さ、なんのその!」です。保育園児くらいの小さな子供3人を連れたお母さんは、子ども達の貯金箱をそのまま募金してくださるなど、本当に大勢の方が募金箱に志を入れてくださいました。その度ごとに目頭が熱くなり、心のそこから「ありがとうございます」と言うことが出来ました。キーボードを叩いている今でも、その時のことを思い出すと涙が溢れて来ます。寒さで体は冷えてしまいましたが、皆様の善意のおかげで心はとても温かくなりました。善意の深さと広がりに感動しています。
2011年3月17日(木)
 かりがね幼稚園の修了証書授与式に出席しました。園児一人ひとりが舞台の上で、保育園での思い出を大きな声で発表した後、園長先生から修了証書を手渡されます。そしてそのまま父兄の前へ、わが子から証書を手渡され、にこっと笑いながら「おめでとう!」とささやく母、照れながらも口元がほころんでいる子どもの姿・・・いつ見ても美しい光景です。

式終了後の園児退場は拍手で送られる場合が多いのですが、今年は保育士の先生方全員による合唱での退場です。歌っている先生方も、一緒に口ずさんでいる父兄の目にも涙が溢れています。そして来賓席の私たちも思わずもらい泣きです・・・。

 被災地に向けての支援についての報告が[刈谷市被災地支援対策本部]からありました。

●救援物資搬送
  1 日  時 平成23年3月18目(金)
  2 出発時間 午前10時
  3 搬送先  宮城県災害対策本部
  4 支援物資 毛布 3,890枚、簡易トイレ 52台、紙おむつ 3,000枚
         食料 7、200食、水 6、900本、トレイ・おわん・割り箸等

●市営(県営)住宅提供
  被災者へ提供する住宅として空いている市営住宅5戸を確保して、受付を開始して
  います。なお、県営住宅(刈谷市内で2戸)は県で受付をします。

●応急給水活動への職員派遣
  日本水道協会中部地方支部より派遣要請を受けて、給水車(2t)1台、職員2名を
  宮城県に派遣します
  日時 平成23年3月18日(金)午前出発 19日より活動開始
  内容 被災地(宮城県)での応急給水活動

現地に赴く職員さんには本当にご苦労様です。そして一日も早い復興をお祈りしています。
2011年3月16日(水)
 朝5時、重原市民館で行なわれている『朝起き会』に出席している妻から「重原市民館に泥棒が入ったらしい。今、警察が来て調べている」との連絡が入りました。その後、重原だけではなく、井ケ谷・今岡・今川・一ツ木・一里山・築地・泉田の市民館でも泥棒に入られていたことが判りました。間違いなく同一犯による犯行だと思いますが、犯人に対して怒りがこみ上げて来ます(`・ω・´)

一方でこういったニュースも・・・

 福島第1原発の事故で、最悪の事態を避けるため、危険を顧みず作業に当たる同社や協力会社の社員もいる。地方の電力会社に勤務する島根県の男性(59)は、定年を半年後に控えながら、志願して応援のため福島へ向かった。
 会社員の娘(27)によると、男性は約40年にわたり原発の運転に従事し、9月に定年退職する予定だった。事故発生を受け、会社が募集した約20人の応援派遣に応じた。
 男性は13日、「今の対応で原発の未来が変わる。使命感を持って行きたい」と家族に告げ、志願したことを明かした。話を聞いた娘は、家ではあまり話さず、頼りなく感じることもある父を誇りに思い、涙が出そうになったという。
 東京電力側の受け入れ体制が整った15日朝、男性は自宅をたった。特別なことにしたくないと考えた娘は見送りはせず、普段通りに出勤した。「最初は行ってほしくなかったが、もし何かあっても、自分で決めたことなら悔いはないと思った」と話し、無事の帰宅を祈る。
 男性の妻(58)は「彼は18歳の時からずっと原発の運転をしてきた。一番安全なものをやっているという自信があったんだと思う」と話す。出発を見送り、「現地の人に安心を与えるために、頑張ってきて」と声を掛けたという。

 読んでいて、涙が溢れてきました。この方だけではなく、多くの方が危険を顧みず復旧に向けて努力を続けておられるのだと思います。誰かがやらねば多くの人々に災厄が降り注ぐ、「だから俺が行く」この心意気には本当に頭が下がります。そして、心から敬意を表します。私には、現場に出向いてお手伝いをする力は何もありませんが、せめて皆様の安全を心から祈らせてもらいたいと思います。
2011年3月15日(火)
 「東北地方太平洋沖地震への災害見舞金として刈谷市が500万円を贈る」という報告が竹中市長からありました。連日の報道を見ていると心が痛みます。とにかく一日も早い復興を祈るばかりです。

 愛知県公立高校B日程の面接が今日行なわれ、これでわが子にとっての高校受験は全て終わりました。中学入学前、「娘は中学の勉強に着いて行けるかなぁ~?」と夫婦で真剣に心配していたわが家ですが、3年間本当にこつこつ努力を続けて(親バカですが・・)、最後は自分の目標としている高校を受験することが出来ました。あとは「人事を尽くして天命を待つ」の言葉通り、天命に従うだけです。どの高校に合格して、どの高校に通うことになるのか・・・「その子にとって一番良い高校を天(神様)は示してくださる」と捉えています。正に現実大肯定! ですね。

 その娘が災害のテレビを見ながらポツリと一言「避難所で暮らしている人も大勢いるのに、私達はこうして普通に受験が出来ただけでもありがたいことだよね」・・・どんな合格よりも、この気持ちの方が大切ですよ。
2011年3月14日(月)
 







 4月1日(金)にオープンする刈谷市総合健康センターの内覧会が開催されました。[保健センター][中央子育て支援センター][げんきプラザ]の3つの機能を備えたこの施設、以前は青果市場のあった場所に総工費約12億円で建設したものです。詳しい内容については、ちょうど3月15日号の市民だよりに掲載されていますからぜひそちらでご覧ください。市民だよりには載っていないことで、この施設の特徴を1つ紹介しますと、写真のように屋上には屋上緑化と太陽光パネルが施されています。

 この施設のオープンにより、これまでの[保健センター]は障害者の支援施設としてリニューアルし、[子育て支援センター]の入っていた青葉福祉センターは取り壊すことになっています。長い間お疲れ様でした(涙)
2011年3月13日(日)
 朝5時、重原市民館で行なわれた(社)実践倫理宏正会の朝起き会に出席しました。今日は来賓としての出席ではなく、昨日ガイシホールで行なわれた春の大会に出席したメンバーの一人という立場での出席です。他の大会参加者と同様に、昨日の感想や今後の決意を演談しました。会長先生の言われた「目標に向って努力している今に幸せがある」「元気に楽しく」・・・この2つの言葉が演談の中心です。

 午後から、桜区地域ボランティア『チェリー』の総会に出席しました。このチェリーも来年10周年を迎えます。中村会長が挨拶の中で「和顔愛語」の話をされました。和顔愛語とは、「大無量寿経」にある言葉で、おだやかな笑顔と思いやりのある話し方で人に接することを言い、布施行のひとつなのだそうです。

言葉には、大変な力があります。相手に幸せを届け勇気を与え元気づけることもできれば、反対に、傷つけ落ち込ませたり、自信を失わせたりすることにもなります。したがって、どんな言葉を使うかがすごく大切なのです。生来、人に優しい言葉をかけることが苦手な私ですが、今日教わった「和顔愛語」・・・そうなるように意識して、努力してみたいと思います。
2011年3月12日(土)
 笠寺のガイシホールで行なわれた(社)実践倫理宏正会の春の大会に出席しました。

 愛知・岐阜・三重・静岡の4県から集った会友約8000名。空席が1つも無く(欠席者が一人もいないか、急な欠席の場合には代理の方が出席しているということだと思います)、開式30分前には全員が着席して、雑談をすることなく、静かに開式の時を待っている姿は、正に「倫理」の言葉がピッタリ当てはまる素晴らしい姿勢です。

 来賓の古屋圭司代議士と古川元久代議士が共に、昨日発生した地震の話をされました。「海外でこうした震災が発生すると、混乱に便乗して商品の略奪をする輩がいるが、日本の場合は全くそのようなことは起きない。逆にボランティアに駆けつけたり、地域で助け合ったりするなど、日本人の道徳心や倫理観が如何に高いかを現わしている・・・」全くの同感です!!

 会長先生の挨拶「目標に向って努力している今に幸せがある」「元気に楽しく」この言葉が強く心に残っています。
2011年3月11日(金)
 今日は私の所属する文教委員会です。平成23年度予算に計上されている[肢体不自由児童生徒介助支援事業]について質問しました。我々自民クラブでは以前から「障害児のいるクラスに補助の先生の加配を」と要望していました。当初、刈谷市内全体で3名の加配であったものが、順調に増員され現在では20名になっています。しかし、その主たる目的は発達障害児向けの加配といった感が否めず、「肢体不自由児に対しても補助の先生を・・・」と思っていました。それが今回遂に実現したのです\(^o^)/

 そして、その質問の絡みで、今回議論している定住自立圏構想についても質問しました。3月7日の日記でも書いた通り、協定書の中には[圏域内に特別支援学校を誘致]という文言があります。特別支援学校とは要するに養護学校のことです。私が「養護学校を刈谷市に建設して欲しい!」と訴えて既に11年。実現がちょっと近づいたのかな~と期待させる表現ですので、その点についての刈谷市教育委員会としての考え方を質したのです。

 答弁は「肢体不自由児を対象とした刈谷市立の養護学校ということも視野に入れて検討していきたいと考えている」とのこと。嬉しくなるような驚きの答弁です \(^o^)/

 終了後、市役所内にいると庁舎が大きく揺れました。非常に長い時間の揺れだったので「免震構造の関係で長時間揺れているのかなぁ~?」と思っていると、そのせいばかりではなく国内では最も大きいM8.8という大きな地震だったのです。その後テレビで映し出される、倒壊した家屋、炎上しているコンビナート、押し寄せる津波・・・自然の驚異を見せつけられた思いです。震災された皆様に心からお見舞い申し上げます。
2011年3月10日(木)
 魚屋の仕事。半年に一度行なわれる、ある国立施設の食品納入入札に参加しました。海外での食料資源高騰にも拘らず落札価格はどんどん下落して行きます。中小零細企業にとって、政府や日銀が発表しているような景気の回復感は全く実感できません。

 車中のラジオで、卒業シーズンにはピッタリの、武田鉄也[贈ることば]が流れていました。「人は悲しみが多いほど、人には優しく出来るのだから・・・♪」この歌詞が心に響く今日の心境です。
2011年3月9日(水)
 福祉経済委員会が行なわれました。

 委員会では付議された議案審議の他に、委員会の所管に関わること全般について議論する[所管事務調査]という場があります。今日の場合は・・・

1.刈谷市食育推進計画について
2.第2次刈谷市観光基本計画について
3.刈谷市環境都市アクションプランについて
4.いきがい楽農センターについて
5.聴覚障害福祉(磁気ループ)について
6.保育行政(認可外保育所への保育料補助など)について
7.工業団地の誘致について
8.ちびっこ絵画展について
9.ゴミの最終処分場(衣浦3号地)について
        ・
        ・
        ・
などです。施策の現状と今後の計画について、それぞれの議員がそれぞれの立場で質して行きますから、新たな発見があったりして、とても参考になります。
2011年3月8日(火)
 雁が音中学校卒業式に出席しました。全く原稿を見ることなく自分の言葉で式辞を述べられた大橋校長、常日頃全力で子ども達と向き合っている証だと思います。こんな素晴らしい[校長先生からのプレゼント]に送られて巣立って行くことの出来る卒業生は本当に幸せです。そして、一父兄として・・・こんな立派な先生方に導いて頂いたことに感謝です。

 夜は、商工会議所青年部(YEG)の納会・卒業生を送る会に出席しました。青年部の会長は、私の後援会活動や選挙で大変お世話になっている都築さん、そして卒業生には神野さんもいます。神野さんには「卒業おめでとう」そして都築さんには「会長お疲れ様」の言葉を送ります。

 YEGは、メンバーそれぞれに味があって、魅力のある団体です。そして時には本音で「助けてぇ~」って言える仲間がいる。「仲間っていいなぁ~」改めて感じることの出来た納会でした。
2011年3月7日(月)
 3月議会は今日から委員会。初日の今日は企画総務委員会が行なわれました。その中で[定住自立圏の形成に関する協定]を締結するための議案が3件議論されました。

 定住自立圏構想というのは、少子高齢化などで地方財政が疲弊してゆく中、全ての自治体がフルセットの生活機能を確保することは困難との考えの下、進められている新しい広域連携の形です。市町村が連携・協力して定住・自立に必要な生活機能を確保して行く取り組みで、刈谷市が中心市として、知立市・高浜市・東浦町と協定を結んで圏域全体のマネジメントを行なうものです。

具体的な取り組みとしては、

1.刈谷豊田総合病院と圏域内診療所との連携強化
2.公共施設の相互利用
3.図書館の相互利用
4.圏域内に特別支援学校を誘致
5.国や県の施設の相互利用
6.行政バスの広域での利用
7.広域での観光事業の推進
8.幹線道路の整備促進
9.職員の合同研修

 この中で私は特に[4.圏域内に特別支援学校を誘致]に注目しています。特別支援学校とは要するに養護学校のことです。私が「養護学校を刈谷市に建設して欲しい!」と訴えて既に11年。実現がちょっと近づいたのかな~と期待させる表現です。この件は、所管である文教委員会の中で質して行こうと楽しみにしています。

ところで・・・この議案で答弁に立ったS課長。いつも答弁が鋭く的確で、「この人は、頭いいなぁ~」って感心しながら答弁を聞いています。
2011年3月6日(日)
 午前中、小山公民館の平成22年度総会に出席しました。市民館のホールに座りきれないほどの盛況ぶりで、ざっと数えたところ200名近い方が出席しています。小山公民館の場合、運営を担当する地区委員の他に、[厚生][体育][交通安全][防犯][青年][婦人][少年]といった部会があり、その組織図を見ただけで「本当に大きな地区だなぁ~」と驚いてしまいます(@_@)

 23年度の活動方針は「住民の連帯性を高める活動の展開」「グループ活動の育成と助長」「広報活動」とのこと。今年一年、ボランティアとして公民館活動に貢献される出席者の皆様に心から敬意を表しますm(__)m

 その後、エルシティ前とアピタ前で街頭演説。話の中心は、先日一般質問で行なった「保育園の待機児童解消について」といった内容です。途中で、中学校時代の同級生だったHさんが声を掛けてくれました。数年ぶりに会う懐かしい顔です。大村愛知県知事のことに話題が及び、「目標に向けてひたむきに突き進んでいくあの突破力は、高校時代のままだなぁ~。あのバイタリティーは凄いわ!!」とのこと。全く同感で、二人とも同じ年ですが、とてもかないません(*`ε´*)(*`ε´*)

 その後、総合文化センターで行なわれた『酒井県議の環境フォーラム第2弾 還暦シンポジウム』に出席しました。知っているようで実は良く判っていなかった[生物多様性締約国会議(COP10)]について改めて勉強することが出来ました。
2011年3月5日(土)
 午前中はあれやこれやと溜まっていた仕事を片付けていました。3月議会+年度末+県議選の準備+レポート発行準備・・・やることが山ほどあるので、気持ちが落ち着きませんが、こんな時こそ、目の前にある仕事を1つ1つ着実に片付けることが大切、と自分に言い聞かせています。

 午後からはエルシティ前とアピタ前で街頭演説です。もう少し暖かい日かと思っていたら、冬に逆戻りしたような寒さでした。エルシティ前で演説を始めると直ぐに声が途切れるようになってきました。どうやら電池切れのようです。前回電池交換したばかりなのに、たぶんスイッチを入れたままにしておいたのかもしれません。エルシティ内のエイデンで購入して再開したのですが、気勢を削がれテンションが下がってしまい寒さが一層応えました(×_×)(×_×)
2011年3月4日(金)








 旧庁舎、市民会館が完全に取り壊され更地になっています。市民会館の跡地を見ると「こんなに市民会館は大きかったんだ」と驚きですが、その後、庁舎の跡地を眺めると「いかに旧市役所が狭かったか」を実感します。

 夜、自分自身の一般質問の様子をKATCHで見ました。議場内の音声は、12月議会以後改善されて大きく聞こえるようになりましたが、KATCHの音声は他の番組に比べてまだまだ低い状態が続いていました。質問が終了すると同時に自宅と携帯の電話が鳴りました。どちらも「私たちが思っていることを、よくぞ言ってくれた!」という激励の電話でした。

 7時台という比較的見易い時間帯ということも幸いしているのかもしれませんが、議会に関心を持って、こうしてKATCHを見ておられる方が少なからずいたことに驚きです。そして、私の発言に共感され、激励の電話は嬉しいのですが、逆に「私の耳には届かない反論も必ずあるのだ」ということを肝に銘じておかねばと思っています。今日の日めくりでの一言「褒める人より叱る人」です。ハイ。
2011年3月3日(木)
 3月議会質問質疑(一般質問)3日目。今日も6名の議員が登壇しました。今日は朝一番から婦人会の皆さんが傍聴に来られました。私も以前は「婦人会の傍聴時に運良く(?)出番」ということもあったのですが、今年は自民クラブの清水議員がそのラッキーな順番を引き当てられました。

 その清水議員、次のようなことを提案されました。

1.下水道事業については、整備もそろそろ終盤となり、これからは維持・更新を中心と
  した時期に入るので公営企業会計を導入してはどうか(資産と負債、そして資本を
  含めた経営状況と財務状況を明確化できる)

2.水道事業の収納に関する事業を中心に包括的業務委託をしてはどうか(民間企業
  の創意工夫による効率的な経営が可能となり、コスト縮減とサービス向上が期待で
  きる)

3.平成23年度から小学校5・6年生での英語学習が本格実施となる。これを機に、児
  童クラブや幼稚園・保育園においても英語活動を取り入れてはどうか

 いずれも、私の気づかなかった斬新な指摘だと思います。当局もかなり前向きな答弁でしたので、早晩実施されるのではないかと期待しています。このように、他の議員の質問からは学ぶ点が沢山あります。
2011年3月2日(水)
 3月議会質問質疑2日目。今日も6名の議員が登壇し、私も午前11時より約50分間、下記のテーマで質問しました。今回も後援会15名ほどの方が傍聴に来てくださいました。本当にありがとうございますm(__)m

1.JR逢妻駅へのエレベーター設置について
2.中学卒業までのインフルエンザ予防接種補助について
3.保育園への入園(待機児童ゼロへの取り組み)について

 この3つのテーマはいずれも、我々自民クラブで昨年10月22日に提出した『平成23年度予算編成に関する要望書』の中で要望しているものです。

 「残念ながら今回提案された平成23年度予算の中には、この3項目について希望した通りの予算が付けられていません。予算が付くということが実現に向けて前進をしたということであれば、同様に、市長さんのマニフェストの中で公約してもらうことも実現に向けた第1歩だと思います。ぜひ7月に行なわれる市長選挙マニフェストの中に入れて頂くことをお願いいたします。」そのように結んで質問を終えました。期待しています。
2011年3月1日(火)
 ついこの間、新しい年を迎えたと思ったら早くも3月、新しい月は雨のスタートとなりました。今日から3月議会は質問質疑(一般質問)が始まり6名の議員が登壇しました。

 これまで一般質問は、1回目の質問は登壇して行なっていたのですが、今回から全て質問席(写真)で当局側と対峙するような形で行なわれるようになりました。明日(2日)は午前11時頃から私の出番です!!

 議員同士で話をすると、県議選や7月に行なわれる市会議員選挙の話題が多くなってきました。「○○さんも立候補するらしい」という内容ですが、昨日まで私が聞いていた情報では、市議選定員28名に対して8名オーバー、そして今日更に新しい情報(真偽のほどは定かではありませんが)として1名増えましたので、9名オーバーの見通しです。私は「大勢の人が立候補して、選挙も議会も活性化すべきだ」と思っていますから、大激戦は大歓迎です。
2011年2月28日(月)
 産業振興センター東、中山公園の前から名鉄とJRの地下を通って、交通児童遊園の間を通り、ひまわりの横に至る『刈谷駅南北連絡道路』が今日から開通しました。(今日は雨天だったため、写真は昨日撮影したものです)

 私も、ひまわりに行く用事があったので早速利用してみました。急カーブと坂道、幅員も狭く、注意して運転をしなければなりませんが、この道路の開通により刈谷駅南北間のアクセスは飛躍的に良くなるはずです。実際、高浜から出勤している方から「いつもより20分も早く帰ることが出来ちゃった」との連絡が入りました。整備に向けて苦労された関係の皆様に敬意を表します!!

 また、この道路の途中、すぎな作業所の前で、道幅が狭くなって危険なところがありますので、この点については自民クラブとして『平成23年度の予算要望』の中で改善を要望しています。

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