愛知県議会議員 神谷まさひろ

東陽町ホンネの日記

2007年2月28日(水)
 午前10時より、3月議会質問質疑・一般質問に登壇した。今日は婦人会連絡協議会の恒例行事となっている『市議会傍聴』と偶然かち合ったため、約30名ほどの傍聴者が見つめる中での質問質疑となった。他の議員からは「神谷君、運が良いねぇー」の声。しかし、肝心な議論の中身としては「いまいちだった」と私自身は思っている。

 本会議が終わり、事務所に戻ると、事務所が綺麗に掃除されていた。私が質問をしている時間に合わせて、妻が綺麗に掃除をしてくれていたのだ。今日のように、[議会で一般質問をする]などといった重要な仕事をするときには、妻は必ず事務所の掃除をしている。たぶん、「夫の仕事が上手く行きますように」との願いを込めながら・・・。

 「男が外で大切な仕事をしているとき、妻は家庭や職場の掃除(みそぎ)をして陰で支える。その夫婦の一体感、愛和した姿が物事を成就させる」・・・(社)実践倫理宏正会での教えをきちんと実践してくれている妻の気持ちに感謝m(_ _)m。
2007年2月27日(火)
 3月議会質問質疑の初日。今日は5名の議員が登壇した。それぞれの議員の質問の中に「なるほどな」と感心させられる時がある。特に今日は沖野議員の質問が参考になった。

 「私は農政問題は素人ですから」と断って質問された農政問題。素人ならではの鋭さがあったと思う。特に、再質問・再々質問へつながる理論展開は大したものだと思った。さあっ、明日は自分だ!
2007年2月26日(月)
 2月は28日までしかなく、日数が少ない上に明日から本会議が再開となるので、本来であれば月末にやるべき仕事を今日片付けておいた。その他、後援会名簿の整理等雑務に追われた一日だった。

 夜、Tさんのお父様が亡くなられたとの連絡が入った。8年前、選挙に立候補する前から応援してくださっていた。ご自身の体が不自由で思うように動けない思いを、私に議員として活躍するように託してくださっているようで、温かさの中にいつも厳しくアドバイスをしてくださっていた方だ。[刈谷市議会議員 神谷まさひろ]の生みの親・育ての親といっても過言ではないであろう。

 奇しくも今日2月26日は、私の祖父の命日。そして妻の父親の命日でもある。Tさん、本当にお世話になりました。ご冥福をお祈りいたします。
2007年2月25日(日)

 





 
 朝7時からの桜区健康ウォーキングの後、日高小学校で行われた『刈谷中部地区防災訓練』に参加した。これは、刈谷市内中部にある消防団6つの分団の主催で行われるもので、市内9地区からの住民も参加して毎年行われている。[給食給水班][情報班][消火班][避難誘導班][救出救護班]にそれぞれ別れ、実際の災害時にどのような対応をするか、といったことを実際に体験した。

 午後からは、エルシティ前とアピタ前で街頭演説。昨日までの天気予報では、完璧な[晴れマーク]だったのに、残念ながら重苦しい曇り空の一日だった。それでも風が吹いていなかったので、街頭演説としては比較的やりやすい日だ。風が強いと声が風で流されてしまって非常に聞きづらくなるが、今日のように風が穏やかだと、自分で喋っている声が美声に聞こえる(笑)。
2007年2月24日(土)
 現在夕方の5時。エルシティ前で40分間、アピタ前で30分間の街頭演説を終えて事務所に帰ってきたところだ。ふぅー、温かい缶ココアで一息つきながらキーボードを叩いている。

 とにかく寒かった。風は強いし、街頭演説をするには最悪のコンディションだった。が、今日と明日は、一般質問前の最後の土日だ。この2日間の街頭演説で一般質問で訴えることを頭の中で整理しなければならないので、どうしても止めるわけには行かないのだ。

 今日は朝10時から、身体障害者福祉協会の西部地区懇談会に出席。約1時間に渡って、平成19年度当初予算の説明をさせて貰った。参加者は約25名。人数・時間共に最もやりやすい規模だ。

 その後11時より、小山地区自治会・公民館後期反省会に出席した。これまでは必ず榎並市長も出席してみえたが、やはり今日は病気のため欠席、容態が気になるところだ。
2007年2月23日(金)
 平成18年度もこの時期になると、様々な事業の完了を迎えることとなる。そして19年度に向けて、市民要望として届けていたことが実を結ぶかどうか、行政当局からの答が気になる毎日だ。そうした中、難しい課題にもかかわらず、努力し実現させてくださったことに対して感謝のメールを送ったところ、返信メールの中に次のようなフレーズが書かれていた。

 出来ないことを可能にする努力をすることが職員としての最大の責務であると思います。市の職員にも「ボランティアや市民を怖がるな。心の通じる仕事をすれば新たな仕事が展開する」と言っています。このたびも「困難」はあったかもしれませんが、当たり前の仕事の使命が果たせたことと思っていました。そのことに喜んでいただける方がいるということが私どもにも大きな励みになります。

 「お役所仕事」という表現で、ややもすると事務的で血の通っていない行政サービスと思われがちな市役所の対応だが、市民の立場になって心を通わすサービスを実現しようとする志の高い職員も大勢いることを決して忘れてはいけない。制度やしくみ、ルールが如何に整備されても、それを円滑に実行するのは市民と市役所との心の繋がりなのだ。職員全てに感謝!

 夜、小・中学校時代の同級生の通夜に弔問した。47歳の余りにも短い人生。悔しかっただろうな・・・ 。式場は2階なのだが、1階と2階の両方に受付を設けなければいけないほど大勢の弔問客であった(私もこれまでに何度も葬儀・通夜に参列しているが、このように大勢の弔問客は記憶にない)。故人とは中学校卒業以来ほとんど会うことはなかったが、この弔問客の多さで、彼がどれだけ多くの人に慕われ、どんな人生を歩んで来たか推し量ることができる。S君、どうぞ安らかにお眠り下さい。
2007年2月22日(木)
 4月の統一地方選挙で市議会議員の選挙が行われる安城市。友人である安城市議のHPを覗くと、どの議員も日夜支持者への訪問活動をおこなっているようだ。1日100軒が1つの目標らしい。

 夕方、近くの信用金庫支店長が尋ねてきた。安城在住のその支店長に、このHPのことを話すと、「私たちも、新しい支店を開設する時の目安として、支店周辺の家庭訪問を1日100軒3ヶ月間行えと言われるんですよ。」「大手銀行とは違う、信用金庫の原点は、足を運ぶことと頭を下げることだって教えられてきました。」

 ふぅむ。[足を運ぶこと]と[頭を下げること]か。我々地方自治体議員の原点でもあるよな。私と同じ[神谷]という名前の支店長に、今日はいい話を聞かせて貰った。
2007年2月21日(水)
 今、午後5時半。一日を振り返っての日記を書くにはあまりにも早い時間だが、今の気持ちを直ぐに文字に表現したかったので、敢えてこの時間に日記を記すことにする。

 今日は朝一番で、昨日のお得意先とのトラブルが最も悪い形で決着した。嫌な出来事に気持ちはどっと落ち込んでいた。

 午後になって、ある市民の方から要望されていた事柄が、最も良い形で実現することになったので、大変感謝をされる出来事があった。そして、事務所に帰りPCを開くと、以前から相談を受けていた方より「希望通り実現しました。神谷さんのおかげです。」との嬉しいメールが入っていた。

 そして、そのメールを読んでいる最中、「入院している父の容態が良くなって、面会することが出来るようになりました。まさひろさんいつでも親父の顔を見に行ってやってください」と、大変お世話になっている方のご子息から電話が入った。これもとても嬉しい話だ。

 午後からは嬉しい報告が3つ続いている。午前中の嫌な話と、午後からの嬉しい話。本当に「人生はパープレーだな」と、しみじみ感じている。嬉しいことがあれば、いつか必ず嫌なことが。嫌なことがあれば、いつか必ず嬉しいことが・・・。パープレーだからこそ、嫌な出来事に落ち込まず、嬉しい出来事に舞い上がらず、常に平常心!を心掛けて行きたいと思う。
2007年2月20日(火)
 終日、後援会の事務作業を行っていた。

 午前11時半からグリンピア昼の特売会場で264回目の街頭演説。陽気も良く、一般質問の内容を気持ち良く訴えていたら、会社から携帯が入った。どうやらお得意先への納品でトラブル発生したらしい。そのため街頭は30分ほどで切り上げ、大至急で会社に戻ることに。こんな時[二足のわらじを履いていること]の辛さを感じる。

 午後からは市役所で打ち合わせ。
2007年2月19日(月)
 今日正午で3月議会一般質問の通告が締め切られ、今回は15名の議員が登壇することになった。

 質問順番を決める抽選の結果、今回は6番目ということで、1日に5名行うとすれば、2日目のトップバッター(2月28日 午前10時より)ということになる。

 私は今回

 1.障害者自立支援法について
 2.乳幼児医療費無料化の拡充について
 3.高齢者いきいきライフ支援について


の3項目について質問する予定である。質問項目について他の議員と重複していないかチェックしたところ、1と2の項目についてはどうやら同じような質問をする議員がいる。その方には悪いが、今回は私の方が質問順が早いので、先に当局の答を聞き出してしまうことになるわけだ。そういった意味では、「質問順が何番になるか」って、結構気になるものなのだ。今回はラッキーなクジ運だったかな(*^_^*)。
2007年2月18日(日)
 敬専寺で行われた小山婦人会主催による『物故者追弔会』に出席した。法要の後、鈴木見業氏による法話があった。毎年恒例となっている見業氏による法話も、今年は童謡など(「七つの子」「しゃぼん玉」「故郷」「真白き富士の根」「叱られて」「上を向いて歩こう」)をみんなで歌いながら、それぞれの歌詞に込められた意味を説明しながらの説法で、琴線に触れる法話だった。

 その中で、心に残っている言葉を3つほど

 「幸せは求めるものではなく気付くもの」
 「人間は親の名を呼んで救われていく」
 「旅行が楽しいのは帰る家があるから」

 その後、エルシティ前とアピタ前で街頭演説。エルシティ前はポカポカ陽気で、気持ちよく約1時間行った。一方、アビタ前は建物の陰になってしまうので2月らしい寒さの上、強風も吹いている。場所によって気候がこんなにも違うものかと驚いた。

 夜は、桜区青年部の納会に出席した。懇親会で語り合っているメンバーの顔ぶれを改めて眺めてみると、それぞれの家業の跡継ぎとして立派に商いを発展させ、その上で地元のまちづくりにも積極的に参画している。他の地域にはない素晴らしい組織だと思う。
2007年2月17日(土)
 午前10時より知人の葬儀に参列。故人とは4年前の選挙運動の際、初めて知り合いになった。どしゃ降りの雨の中、熊市民館で行った個人演説会の時、会場に足を運んで下さった方の一人だ。入場してくる方を私が受付でお迎えしていると、もの凄い形相で私の方に向かって歩いてこられる方がみえた。私の前に立ち、私をにらみつけながら、押し殺したようなドスのきいた声で「初心を忘れるなよ!」とひとこと言って会場に入って行かれた。「いやーっ、とんでもない人が入ってきたぞ。どこかの陣営の妨害か? 演説会の最中に変なこと言い出さなきゃいいが」と、内心ビクビクしながら演説会を終えたことを覚えている。

 その後、後援会の初詣にも何度か参加してくださり、その時のことを話したら、「へぇー。そんな風に見られちゃったんだ。ホントは優しいおじさんなんだがなぁ」と可愛らしい笑顔で言っておられた。その笑顔もまた、印象的に覚えている。

 「初心を忘れるなよ!」の言葉と、初詣の時の笑顔、Fさんの大切な思い出として胸に刻んでおきます。

 葬儀の後、酒井やすゆき県会議員の事務所開設式に出席した。いよいよ自分自身の選挙も近づいてきたことを感じさせる開設式だった。Fさんの言葉を胸に、夏に向かって走り続けてゆこう。
2007年2月16日(金)
 3月議会における『委員会6者会議』が行われた。[6者]とは正副議長・議会運営委員会の正副委員長、そして建設水道委員会の渡辺委員長と副委員長である私の6者である。これは、「議案ではないが、所管する委員会に報告しておいた方が良い」と思われる案件について、その取り扱いを事前に協議しておく会議である。今回は、アスベスト撤去に掛かる費用の一部を補助する制度についての1件のみ。

 2月14日の日記中、『3月4日に障害者団体が行うフォーラム』のチラシを見られた方から反響が寄せられている。「神谷さん、こんな凄い顔ぶれの講師の中で大丈夫?」と、心配してくださっているのだ。確かに、厚労省の熊木氏の基調講演の後、福祉の世界ではカリスマと呼ばれている戸枝氏や、国から出向し高浜を「福祉のまち」として一躍有名にした関口氏などと一緒にシンポジウムを行うのだ。そりゃー、確かに少し不安もある(´・ω・`)。

 しかし「刈谷市で行うフォーラムで、障害者自立支援法、とりわけ地域生活支援事業を議論するのに、刈谷市議会の中に私以外の適任者だれがいるんだよ?」って、ちょっぴり自負もしてるんですよ。
2007年2月15日(木)
 今日から3月議会が開会。3月議会の場合、平成19年度の当初予算案を始めとしてボリュームのある議会となるため、こうして早めに議案提案(説明)だけしておいて、その後の数日間で内容を検討する時間が設けられているのだ。次の再開は2月27日(火)、議案に対する質問質疑(一般質問)が行われる。

 通常、市長による施政方針演説が行われるのだが、榎並市長病気療養のため欠席。代わりに助役が代読した。この『施政方針及び議案の大綱』を聞いていつも感心するのだが、年度内に計画されている事業がきちんと盛り込まれていて、文章としても非常に良くできている。市長の意を受けて企画部の優秀な職員が原稿を作っているらしいが、流石に刈谷市の頭脳集団だ。(常日頃彼らと話していても、非常にカンが良く、切れ者といった感じだ)
2007年2月14日(水)
 今日も一般質問の準備、それぞれのテーマについて関係者からの聞き取りを行った。

 本会議場で一般質問を行うことは、[市民の声を議会という正式な場で市当局に届ける]という目的で行うのだが、質問までの準備を通して私自身が非常に勉強になることでもある。今回は特に、3月4日(日)に障害者団体の行うフォーラムに私も講師(?)の一人として参加するので、障害者自立支援法を改めて勉強するにはとても良い機会である。
2007年2月13日(火)
 午前中は後援会名簿の整理を行った。そして11時半からはグリンピアで街頭演説。2月中旬とはとても思えないような、春のような日差しだ。これも地球温暖化の影響か?

 午後からは都心交流エリアワークショップに出席した。中心市街地活性化の第一歩として「地元の女性たちが安心してアクアモールやグリーンモールを歩けるようなまちづくりが求められている」そのために、風俗店や地元住民を含めた『桜小路連絡会』を近々発足させる予定になっている。
2007年2月12日(月)
 3月議会一般質問の原稿を書き始めている。といってもまだまだ大まかな概要だけなので、今日書いた原稿に今後肉付けをしてゆくことになる。

 午前11時からは同級生の御尊父様の葬儀に参列した。享年77歳とは、まだまだお若いのに・・・。ご冥福をお祈りします。

 最近、道路などの工事をしている時の案内看板に、きちんと工事の目的が記されているので非常に判りやすい。ある議員が、以前本会議で提案していたことが、実現したということなのだろう。その際、「工事に掛かる事業費も載せてはどうか」という提案をしていたように記憶している(間違っていたら申し訳ない)が、どうやらそれは実現していないようだ。[コスト意識を高めてもらう]という意味で、非常にユニークな提案だと評価していただけに残念だ。
2007年2月11日(日)
 午前7時からの『桜区健康ウォーキング』に参加した後、双葉グランドで行われた『刈谷市消防団観閲式』に出席した。風が強くとても寒い中、消防団の皆様お疲れさまでした。そして各種表彰を受けられた皆様、消防団での多年にわたるご活躍に敬意を表します。

 その後、事務所に戻って後援会名簿の整理。昼食を取る時間もなく、敬専寺で行われた戦没者追弔会に出席した。そして午後3時からはエルシティ前とアピタ前で街頭演説。北風が冷たく、最後は唇が震えて上手く言葉を発することが出来なかった。話すテーマはもちろん3月議会のこと。夜は、同級生の父親の通夜に弔問した。30年ぶりに会う同級生が大勢弔問に訪れていた。故人のご冥福をお祈りします。

 あっ、それから・・・今日は47歳の誕生日。子供達から手作りのバースデーカードが届けられた。「白髪も少し目立ってしまうけど、感謝の気持ちをいつも思い、お父さんを応援してあげたいです。こうやって生活できるのも、お父さんが働いているおかげです。これからも、元気でいてお仕事頑張ってください。」書かれているメッセージが嬉しいね(*^_^*)。
2007年2月10日(土)
 午前中は今日も名簿の整理。その間、後援会の事務所では、ある障害者団体の方が役員会をやっておられた。一段落したところで、私もその会に飛び入り参加をし、行政に対する皆様方の声を聞かせて貰った。

 話の中では、[障害者の居場所作り]この言葉がキーワードだったように思う。お隣に座っていたAさん。来週からNPO法人くるくるの行っている日中一時支援のサービスを受けるとのこと、Aさんの居場所としてフィットするといいね・・・。

 その後、エルシティ前とアピタ前で街頭演説。アピタ前ではもう少し続けたかったのだが、途中で電池が切れてしまったため消化不良のまま終了。明日は新品の電池でしっかりやるぞー!
2007年2月9日(金)
 3月議会の議案について各会派ごとに当局から説明をする『会派説明』が行われた。2月15日から始まる3月議会は報告案件を含め議案としては32件、その中には平成19年度の当初予算も含まれている。

 当初予算一般会計は、昨年より11.3%増という積極予算になっている(もっとも、刈谷駅南口の再開発関係で78億ほどあるので、それで全体をかさ上げしているのだが)。金額は557億189万円。語呂合わせで、「いついつまでも(55)なお(70)飛躍を(1890)」ということらしい。

 午後からは会派の打ち合わせ。そして一般質問の準備をぼつぼつ始めることに。今回は、[障害者自立支援法について]と[高齢者いきいき支援について]の2項目を今のところ予定している。

 夜は中部会の懇親会に出席した。刈谷市内中心部の市会議員・地区長・公民館長が集まって年2回こういった会が催されている。顔面神経痛を患っている榎並市長も出席してくださった。右目に眼帯をして、顔の右半分が麻痺していて話すことも若干不自由なため、見ていてとても痛々しい。あのような状態ならば欠席するか、出てきたとしても簡単な挨拶だけ済ませて退席しても良いのにと思うのだが、挨拶の中で新年度の事業紹介をきちんとされ、会がお開きになるまであちらこちらの席を廻って積極的に懇談してみえた。市長として残された任期は半年、最後まで職務を完全燃焼しようとする意気込みのようなものを感じた。この誠実さが榎並市長の魅力だ。
2007年2月8日(木)
 かりがね保育園で行われた『生活発表会』に来賓として出席した。0歳児から5歳児まで、それぞれの発育にあった歌や遊び、劇を披露してくれた。「この年齢で、もうこんなことがやれるんだ」と感心するほど、どの子も立派にやれていた。みんな輝いていたよ。

 特に4・5歳児の劇は、笑いあり感動ありで素晴らしかった。今日の本番に向けて、一生懸命練習している園児の姿が目に浮かんでくる。監督・脚本・プロデュース・大道具・効果音・技術指導と、一人で何役もこなしていたであろう先生方のご苦労に称賛の拍手を送りたいと思う。素晴らしい発表会をありがとう(*^_^*)。

 そして、私の横で発表会を見ていた森田議員。発表会を見て感じたことをずっと封筒の裏にメモしておられた(右の写真)。これらのことをまとめて後日、園長先生にお礼の言葉と共に送られるらしい。もらった園長先生はもちろん、子供達も保育士の先生方も嬉しいよなー(^o^)。必ずこうした配慮をされる森田議員もまた素晴らしいと思う。
2007年2月7日(水)
 我々議員の元には、教育委員会より[学級閉鎖の連絡]がFAXで届けられることになっている。今年も、インフルエンザの流行する時期を迎えて、ほぼ毎日のようにその連絡が届くようになってきた。外出から戻ったら、手洗いとうがいを欠かさずに行って予防に努めましょう。と言っている我が家で、小6の長男が38度の発熱、診断の結果B型のインフルエンザとのこと。皆さん本当に気をつけましょう・・・。

 後援会名簿の整理をし始めたら、プリンターの調子がおかしくなってしまった。打ち出す物全てが文字化けしてしまっている。メーカーの[お客様ご相談窓口]と電話でやり取りしながら、復旧には夕方まで掛かってしまった。あー、1日を無駄にしてしまった気分だ。
2007年2月6日(火)
 先日後援会事業として行った『京都への初詣』の様子を[後援会事業]にUPしたので、よろしければご覧になって下さい。(開いてから下へスクロールしてください)

 グリンピア昼の特売時間帯に街頭演説を行った。知事選の選挙期間中は街頭市政報告を自粛していたので久しぶりの街頭演説である。2月上旬とは思えないようなポカポカ陽気の下、大勢の方が声を掛けてくださった。質問や激励などのほか、「桜町の神谷まさひろさんですよね? 私も以前は桜町に住んでいました○○です。まさひろさんによろしくお伝え下さい」などと言われる方もあった。「私が本人なんですけど・・・」

 激励してくださった方から頂いた名刺の裏に素敵な文章が書いてあった。
苦しいことを思えば 苦しいことばかり
腹の立つことを思えば 腹の立つことばかり
楽しいことを思えば 楽しいことばかり
楽しいことに 目をむけよう
2007年2月5日(月)
 昨日の愛知県知事選挙において現職の神田候補が3選を果たすことができた。選挙戦終盤になって、大村代議士や選対本部から何度も「ここへ来て情勢が極めて厳しくなっている」との情報が入っていたが、その言葉を裏付けるような僅差での勝利であった。

 候補者が挨拶の中で仰っていた通り、元気な愛知の流れを変えることなく、この流れを更に前に前進させ(今を超える)て行って貰いたいと思う。

 午後から桜区の風俗店に対して、地域住民と共存した健全なまちづくりのための誓約書や連絡会への加入お願いに廻った。

 夜7時から、都心交流エリアのワークショップが行われる予定があったので、「その前に検査を済ませてしまおう」との思いで堀眼科へ。先日行った健康診断の結果[目の再検査の必要有り]ということだったのだ。6時10分に掘眼科に入って終了したのはなんと8時半。眼科前の会場で行われているワークショップへは結局欠席となってしまった。そして診断の結果、なんと緑内障とのこと。通常、緑内障というのは眼圧が高いために起こる病気なのだが、私の場合眼圧は正常値、どうやらパソコンなどによる目の酷使が原因らしい。確かに最近文字が見づらくなっていたように思う。気をつけねば。。。
2007年2月4日(日)
 愛知県知事選挙の投票日。朝一番で妻と投票を済ませてきた。天気も悪くないし32年ぶりの自民VS民主の対決ということもあって、投票率は間違いなく前回より上がるだろう。そのことが神田候補にとってどのように影響するのか・・・。期日前投票している方が多いことも少し気になる・・・。

 今日は電話で投票依頼をすることは出来ないが、危険防止を呼びかけることはできる。今晩8時まで気を抜かずに・・・(`・ω・´)。
2007年2月3日(土)
 「あれっ! トップページの一部が文字化けしている。」私の知識では修正方法が判らないのでここはプロに任せるしかない。ということで、月曜日まで暫くお待ちください。

 今日も終日知事選関係の仕事。今日は我々議員団も電話作戦に参加した。こんな時にしか電話をしない相手も結構いて「やぁ、久しぶり。元気にしてる」から会話が始まる。投票依頼だけでなく近況報告などもお互いにし合っているのでどうしても1本の電話が長くなってしまう。それでも最後はもちろん明日の選挙のお願いだ。名簿から知らない相手に事務的に掛けるより、この形での電話作戦が一番固いと私は思っている。
2007年2月2日(金)
 今朝も名古屋中央卸売市場から大急ぎで帰ってきて、午前7時10分からの刈谷駅前街宣活動に参加した。この選挙期間中なんどもこの早朝街宣があった。「こんな早い時間に市場から帰ってくるなんてとても無理だ!」と当初思っていたのだが、結局全て時間通り出席することができた。ふぅむ。その気になれば結構できるものだな(*^_^*)。

 選挙戦も終盤とあって、これまで以上にビラを受け取ってくれる方の割合が増えたように感じる。その中でも驚いたのが、大村代議士の配り方が非常に上手いのだ。私の3倍くらい渡せる確率が高いように思う。大村代議士と判って受け取ってくださる方ももちろんいると思うが、多くは受け取った後から気がつくといった感じなので、渡すタイミングが良いのかもしれない。

 「おはようございます」と声を掛けながら渡すのだが、挨拶を返してくださる大人はほとんどいない。むしろ「邪魔だなぁー」と小声で言いながら通りすぎる方もいる(もちろん朝の混み合う時間帯に邪魔をしているこちらが悪いのだが・・・)。そんな中で感激したのは、知的障害の小学生くらいの女の子がニコニコしながら「おはようございます」と本当に可愛らしく返してくれたのだ。振り返って自分のことを考えてみると、こうしたビラ配りや署名活動、募金活動を誰かがしている時、足早に無言で通りすぎてきたように思う。それらのことに協力は出来なくても、せめて挨拶をしたり、「お疲れさま」の一言を掛ける位のことを今後は心掛けてゆこうと思う。無邪気な女の子の笑顔に教えられた早朝街宣であった。
2007年2月1日(木)
 今日も知人の葬儀に参列。故人は明治41年生まれ、享年99歳。ご冥福をお祈りします。

 午後からは、障害者自立支援法の勉強会。障害の種類・程度によって様々なサービスがあるので、それらの名前と実際のサービス内容、どの事業者(施設)で行っているサービスかなどが、なかなか結びつかない。
2007年1月31日(水)
 午前10時より、酒井県議の事務所において知事選の電話作戦と事務所当番。お手伝い下さった皆様、本当にありがとうございました。

 夕方5時からは市民会館に移動して『個人演説会』の準備を行った。開会は午後7時から、応援弁士には自民党総務会長の丹羽雄哉衆議院議員が来てくださった。流石に自民党のナンバー3ともなると、舞台上には3名、客席最前列には2名、そして会場内にも数名のSPが不測の事態に備えている。元厚生大臣だっただけに、社会保障関係の話は、ぜひそれだけで改めて聴いてみたい話であった。

 候補者本人の話をじっくり聞いたのは、先の出陣式に続いて2度目だが、改めて「絶対にこの人にもう一度当選して貰わなければならない」と強く決意させるほど魅力的であった。選挙戦もあと4日、最後まで気を引き締めて(`・ω・´)。

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